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武者行列(むしゃぎょうれつ)

平成26武者まつりの写真

カルチャーセンターでの武者行列の様子

毎年、8月の第1土曜日と第1日曜日に行われる「伊達武者まつり」。
そのメインイベントの「武者行列」は、実はとても古くからあるものです。なんと、その始まりは、明治18年までさかのぼります。

きっかけ

元は武士だった人たちが、持つものを刀(かたな)から鍬(くわ)に変えて、寒さとたたかいながら、木や草でおおわれた土地を畑にする作業をしなければならない日がずっとつづきます。
どんなにつらくてもやりとげなければならないけれど、ふとした時に故郷(ふるさと)への懐かしさ(なつかしさ)や、かつて甲冑(かっちゅう)を身に着けてお城に上がったことなどが思い出されました。
そして、たとえばいつかの機会(きかい)にこの甲冑を身に着けることができれば、また元気な気持ちをとりもどし、開拓を行うことができるようになるのではという声がささやかれるようになりました。
しかし、刀をもってはいけないという廃刀令(はいとうれい)や髷(まげ)を結わずに髪を短くしなさいという断髪令(だんぱつれい)が国の法律で決められ、武士は時代から消えていく存在(そんざい)だった上に、亘理伊達家には国にはむかったという風潮(ふうちょう)がまだ残っていました。
リーダーの邦成公は、それでも、他の旧武士団がしている開拓の進み具合(ぐあい)と比べると自分たちは成績が良いこと、故郷をなつかしむ気持ちをやわらげることができて更に開拓を進めることができるという理由で、国に武者行列の許可をお願いしました。

はじめての行列準備

国から許可をもらい、当時の鹿島神社(かしまじんじゃ)の宮司(ぐうじ)が武者行列の運営(うんえい)をしました。そのため、しばらくは鹿島神社の恒例(こうれい)の行事として、4月8日の花祭りに行っていました。
その後、農業がいそがしい時期をさけようと9月15日に定着。最終的には、今、みんなも知っている8月の伊達武者まつりに合わせて行うことになりました。
亘理伊達家中としての騎馬隊(きばたい)は、30人以上の武士がいなければなりません。けれど、北海道で開拓するために必要な資金をつくるため、甲冑(かっちゅう)や刀、馬などの武士に必要なものを売ってお金にかえてしまっている人が多くいました。そこで、みんなでやりくりをして、なんとか甲冑などをそろえて武士の行列に見えるようにととのえました。最初は甲冑を持っていた人が武者役になりましたが、そのうちに町ごとに順番制にして、みんなが武者役をできるようにしました。

さいしょの武者行列

大正時代の武者祭りの写真

大正時代の武者行列の様子

初めての武者行列は、亘理伊達家の当主、伊達邦成の屋敷(やしき)から出発しました。
先頭は、天狗(てんぐ)のお面をつけ、一枚歯の高下駄(たかげた)をはき、白い着物を着た人です。
次に、馬にのったり、歩くなどする武者姿の人々がいます。背中(せなか)に大きな刀をかついだり、仙台藩の旗(はた)をなびかせている人もいます。甲冑ならではのかちゃかちゃという音が高らかにひびきわたり、行列を見にきた人は懐かしくて泣いたり、大きな声や拍手で盛りあがったといいます。

お問い合わせ先

教育委員会生涯学習課文化財係
電話 0142-82-3299

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