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歴史(れきし)が学べるしせつ

史跡北黄金貝塚(しせききたこがねかいづか)公園

北黄金貝塚は、約7000年から4500年前の縄文(じょうもん)時代前期・中期の人たちが生活していた集落(しゅうらく)遺跡(いせき)です。
ここでは5ヵ所の貝塚のほか、水場の祭祀場(さいしば)、このころの人たちの家の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)、墓(はか)の跡(あと)などが発見されています。
また、公園のなかには縄文文化を体感できるよう出土品を展示(てんじ)した北黄金貝塚情報(じょうほう)センターがあります。

  北黄金貝塚の竪穴式住居の写真

所在地

〒059-0272 北海道伊達市北黄金町75番地
関連リンク北黄金貝塚(内部リンク)

電話

0142-24-2122

用語説明

祭祀場

自然や亡くなった人、道具などに感謝をし、お祈りをするための神聖な場所

出土品

遺跡から掘り出された土器や石器、動物の骨など
 

バチラー夫妻記念教会堂

ジョン・バチラー博士

「アイヌの父」と呼ばれたイギリス生まれのジョン・バチラー博士は、明治10年(1877年)に23歳の若さで伝道師(でんどうし)として来日しました。翌年にアイヌ民族の研究とキリスト教を広めるために有珠をおとずれ、有珠に住むアイヌの人たちとともに生活をしました。
やさしくみんなにとけこもうとする博士をみて、アイヌのひとたちは次第に親しみを感じるようになります。つぎの年、博士は有珠をはなれますが、その後も何回かおとずれてアイヌの人たちと交流をつづけました。

バチラー八重子と記念堂

キリスト教を知ってもらおうと聖書(せいしょ)をアイヌ語に訳す(やくす)など熱心な博士をしたい、キリスト教の信者が増えました。その中の1人が向井八重子(後のバチラー八重子)です。
八重子は、明治17年(1884年)に有珠のアイヌコタンで生まれましたが、11歳でお父さんがなくなり、子どものいなかったバチラー夫妻が彼女を養女にして、その後一緒(いっしょ)にイギリスに渡ります。
帰国後は、有珠でキリスト教の布教に努めました。昭和12年には多くの信者が協力してバチラー夫妻記念教会堂が建てられました。
 
  ジョン・バチラー記念堂の写真

所在地

〒059-0157 北海道伊達市向有珠町119番地
関連リンクバチラー夫妻記念教会堂

電話

なし
 

善光寺(ぜんこうじ)

天長3年(826年)、比叡山(ひえいざん)の僧(そう)だった慈覚大師(じかくだいし)が彫った(ほった)本尊(ほんぞん)阿弥陀如来(あみだにょらい)像を置いてできたと言われている浄土宗(じょうどしゅう)のお寺です。
善光寺は、文化元年(1804年)、その当時の将軍(しょうぐん)徳川家斉(とくがわいえなり)の命令で、蝦夷三官寺(えぞさんかんじ)の一つとして正式に建立(こんりゅう)されました。
昭和49年(1974年)5月、江戸時代のたたずまいを今日に伝えるという理由で、国の史跡(しせき)に指定されました。
 
  善光寺の写真

所在地

〒059-0151 北海道伊達市有珠町124番地
関連リンク有珠善光寺(外部リンク)

電話

0142-38-2007

用語説明

比叡山

滋賀県(しがけん)から京都府(きょうとふ)にまたがる山で、古くから信仰(しんこう)の対象の山として有名です。

本尊

仏教やそれいがいの宗教(しゅうきょう)などで信仰の対象(たいしょう)として大切にあつかわれるもののことです。

浄土宗

日本の仏教のひとつです。

蝦夷三官寺

北海道が蝦夷地(えぞち)と言われていた18世紀頃(1700年代)、移住してきてこの土地で死んだ人のお葬式(そうしき)をするためのお寺や僧(そう)がいませんでした。
そこで、様似町(さまにちょう)の天台宗(てんだいしゅう)等じゅ院(とうじゅいん)、伊達市有珠町の善光寺、厚岸町(あっけしちょう)の臨済宗(りんざいしゅう)国泰寺(こくたいじ)と3ヵ所にお寺をたてました。これら3つをまとめて蝦夷三官寺といいます。

国の史跡

歴史(れきし)上や学術的(がくじゅつてき)に価値(かち)が高いとして国が決めたものです。

お問い合わせ先

企画財政部企画課広報室広報広聴係
電話 0142-82-3114

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