ふるさと発見(はっけん) その1「土塁(どるい)」
土塁(どるい)
明治23年に出版(しゅっぱん)された「北海(ほっかい)立志(りっし)図録(ずろく)」に掲載(けいさい)されている当時の旧伊達邸庭園(きゅうだてていていえん)の様子(ようす)
そこは伊達市の歴史をおはなしする上で、大切な場所のひとつ「旧伊達邸」の庭園(ていえん)です。
この旧伊達邸庭園は、伊達市の開拓を指揮(しき)した伊達邦成(くにしげ)の邸宅(ていたく)だった場所(旧伊達邸)で、ほぼ当時のままの姿を残して(のこして)います。園内には国の重要(じゅうよう)文化財(ぶんかざい)「旧(きゅう)三戸部家(みとべけ)住宅」や市の有形(ゆうけい)文化財「迎賓館(げいひんかん)」が建っていますが、意外に知られていないのが「土塁」の存在(そんざい)です。
平成27年6月現在の土塁の様子、土が盛り上がっています
土塁とは、敵(てき)の侵入(しんにゅう)を防ぐ(ふせぐ)ために、土を堤防(ていぼう)のような形(かたち)に盛り(もり)上げて(あげて)作ったものです。
明治時代の開拓は、この旧伊達邸を中心に進められました。その一方で、開拓団は「北方(ほっぽう)の警備(けいび)」という使命(しめい)も与えられていたので、警備上の観点から旧伊達邸は土塁でぐるりと囲まれて(かこまれて)います。
また、土塁は「城(しろ)」を囲むように作られることから、当時の人々(ひとびと)は、この旧伊達邸を「城」と考えていたようです。 この土塁、実は北海道で最後(さいご)に築かれた(きずかれた)ものである可能性(かのうせい)があります。
北海道内では、明治元年に築かれた厚沢部町(あっさぶちょう)にある「館城(たてじょう)」の土塁が土塁建築(けんちく)の最後とされていますが、文献(ぶんけん)を調べた(しらべた)ところ、旧伊達邸の土塁は明治4年前後(ぜんご)に築かれたことがわかりました。
残念(ざんねん)ながら西側(にしがわ)の土塁は壊れて(こわれて)いますが、平成27年3月に行った調査で、かつての土塁の跡(あと)をみつけました。
140年以上たった今でも旧伊達邸を守っているこの土塁。これからは私たちが守っていきたいですね。
用語説明
邸宅
家の中でも、特別(とくべつ)立派(りっぱ)なつくりの家。屋敷(やしき)。使命
与え(あたえ)られた重大な務め(つとめ)、責任(せきにん)をもってやりとげなければならないこと。文献
昔(むかし)の制度(せいど)やその時代を知るための資料になる記録(きろく)。
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