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ふるさと発見 その4「胆振(いぶり)の海運(かいうん)王」

伊達市に住むわたしたちが知っていそうで知らない歴史(れきし)や裏話(うらばなし)を生涯(しょうがい)学習(がくしゅう)課(か)文化財(ぶんかざい)係(かかり)がシリーズで紹介(しょうかい)します。
 

胆振(いぶり)の海運(かいうん)王

噴火湾汽船株式会社の写真
噴火湾(ふんかわん)汽船(きせん)株式(かぶしき)会社

今から116年前、伊達市の開拓(かいたく)が始まって(はじまって)もうすぐ30年になろうとしていましたが、まだまだ陸上(りくじょう)の交通の便(べん)は悪く(わるく)、大きな荷物(にもつ)は小船(こぶね)での輸送(ゆそう)に頼って(たよって)いました。
しかし、これではまちの発展(はってん)が進みません。人や物を大量(たいりょう)に輸送できる大型(おおがた)船の導入(どうにゅう)が差し迫った(さしせまった)課題(かだい)でした。
このような背景(はいけい)の中、大きな輸送船をもつ船会社が設立(せつりつ)されました。それが「噴火湾汽船株式会社」です。
この会社は、伊達・虻田(あぶた)・森(もり)・室蘭(むろらん)を結ぶ(むすぶ)航路(こうろ)を運航(うんこう)し、新鮮(しんせん)な伊達野菜(やさい)や海産物(かいさんぶつ)を輸送しました。
最初(さいしょ)2隻(せき)の輸送船で事業が始まりましたが、業績(ぎょうせき)があがり、大正5年には6隻の船団(せんだん)を保有(ほゆう)するまで成長(せいちょう)します。

はしけでの輸送の様子の写真

はしけでの輸送(ゆそう)

この当時(とうじ)は岸壁(がんぺき)がなかったので、「はしけ」と呼ばれる小船(こぶね)を使い、沖(おき)で乗り換え(のりかえ)なければならず、悪天候(あくてんこう)ではしばしば欠航(けっこう)もありました。
それでもこの海運会社が噴火湾一帯(いったい)の物資(ぶっし)交流に果たした(はたした)役割(やくわり)は大きく、文化(ぶんか)的(てき)にも産業(さんぎょう)的にもまちの発展(はってん)に尽くした(つくした)功績(こうせき)は偉大(いだい)なものといえるでしょう。
しかし、昭和3年に鉄道(てつどう)が伊達紋別(もんべつ)まで延びた(のびた)ことで、その価値(かち)は薄れて(うすれて)しまい、ついに会社は解散(かいさん)する運命(うんめい)をたどります。
時が流れて平成28年、北海道(ほっかいどう)新幹線(しんかんせん)の開業(かいぎょう)とともに2次交通と観光(かんこう)を兼ねる(かねる)ことが期待(きたい)される森町と室蘭を結ぶ「森蘭(しんらん)航路(こうろ)」の実証(じっしょう)実験(じっけん)が行われました。
かつて鉄道によって姿(すがた)を消した海運航路が、今度は新幹線のおかげで復活(ふっかつ)するかもしれません。

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